橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

ザルツブルク音楽祭2016 マリス・ヤンソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

classingkenji+books2016-11-03

8月20日は、今回の眼目のひとつ、マリス・ヤンソンスの指揮でウィーン・フィルのコンサート。始まる直前に、とんでもないアクシデントがあった。なんと、ホールの照明が突然全部消えてしまったのだ。予備の明かりがついたうえに、昼間のコンサートだったので、ドアを開け放して外の光を取り込んだから特に混乱はなく、しばらくは照明の消えた祝祭劇場大ホールを楽しんだ。
曲目は、まずエマニュエル・アックスのピアノでモーツァルトの協奏曲K.482。この曲はモーツァルトの協奏曲の中でも好きな曲の1つで、学生のころからアルフレート・ブレンデルの演奏で親しんできた。つい先頃亡くなったネヴィル・マリナーと組んだこの演奏は、この曲の不滅の名演で、これを超える演奏にはお目にかかったことがない。しかし今回の演奏は、アックスの明るく軽めのタッチが心地よく、ウィーン・フィル木管の美しさもあり、なかなかの演奏だった。
休憩のあとは、ブルックナーの第6番。ブルックナー交響曲の中ではあまりなじみのない曲で、さほど好きというわけでもない。しかしヤンソンスウィーン・フィルの組み合わせだけあって、音の塊が次から次へと飛び出してくる迫力はすごかった。終わったあとは、万雷の拍手。やはりヤンソンスは、現役最高の指揮者だと思う。(2016.8.20)

ザルツブルク音楽祭2016 ウェルザー=メスト/クリーブランド管弦楽団

classingkenji+books2016-10-10

8月19日は、ウェルザー=メストの指揮で、クリーブランド管弦楽団のコンサート。場所は、祝祭劇場の大ホール。曲目は、まずバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。そして休憩のあと、R.シュトラウスの「死と浄化」と「4つの最後の歌」。
バルトークは、精緻なアンサンブルをもち、硬質の響きも出せるこのオーケストラには適しているといっていい。たしかに細部まで明晰に表現された演奏ではあったのだが、どうも宜しくない。最大の問題は、メストにリズム感、とくにスラブ的リズムへの対応能力がないことだろう。第4楽章など、本来ならば火花の散るようなリズムの饗宴になってよさそうだが、淡々と流れていく。
「死と浄化」には、ジョージ・セルの指揮した名演がある。それとの比較が興味深いところだが、はっきり言って比較にならない。メストも当然聞いているはずだが、それを再現しようとか超えようというような意識は、はじめからないのだろう。セルの演奏には、ダイナミックレンジを、その物理的な特性を超えて大きく感じさせる巧みさがあるのだが、メストにはこれが欠けている。とはいえ、オーケストラは上手いし、水準を行く演奏だったとはいえよう。そしてコーダに入ったところで、ソプラノのアニヤ・ハルテロスが、しずしずと歩いて舞台に現われる。なるほど、そういう仕掛けだったのか。「死と浄化」が終わってももタクトを振り上げたまま聴衆に拍手を許さず、「4つの最後の歌」が始まった。ハルテロスは稠密な声で、この作曲家最末期の傑作を、情感豊かに歌い上げる。これは文句なしの名演だった。(2016.8.19)

モーツァルトが生まれた部屋

classingkenji+books2016-10-03

久しぶりに、モーツァルトの生家へ行ってみた。2008年、初めてザルツブルクへ来たときには訪れたのだが、それ以来。5階建ての建物で、1階はスーパーになっている。モーツァルトの生家は4階で、入口からまずここへ直行し、生家を見たあとで3-2階の展示も見るという仕掛けになっている。
写真(実際は撮影禁止)はモーツァルトが生まれた部屋で、壁にドイツ語と英語で、「この部屋で1756年1月27日、ウォルフガング・アマデウスモーツァルトは生まれた」と書かれている。しばし佇んで、モーツァルトのピアノ協奏曲を口ずさむ。(2016.8.18)

Getreidegasse 9, 5020 Salzburg

ザルツブルク音楽祭2016 ノリントン/カメラータ・ザルツブルク

classingkenji+books2016-09-25

8月17日は、モーツァルテウムの大ホールで、カメラータ・ザルツブルクのコンサートを聴く。指揮は、名誉指揮者のロジャー・ノリントンで、曲目はオール・ベートーベンで、「プロメテウスの創造物」と「エロイカ」。
古楽指揮者第1世代というものがあったとすると、アーノンクールレオンハルト、ホグウッド、ブリュッヘンなどが他界した現在、ノリントンは最後の生き残りといってもいいだろう。足取りは少々おぼつかず、ずっと座ったままの指揮だが、動きは軽快で、演奏は生気にあふれていた。
「プロメテウスの創造物」を実演で聞くのは初めてだ。演奏はノリントン自身が書いたナレーション付きで、ナレーターはドイツ語訳も手がけたハンネス・アイヒマン。もともとのギリシャ神話とはだいぶ違っていている。プロメテウスが自分で作った土人形に、神から盗んできた火を使って命を吹き込んだものの、知性も感情もないただの生き物。そこでアポロやパッカスなど、仲間の神々たちの力を借りて、人形に知性と感情、そして音楽の楽しみを教え、最後はみんなで踊って大団円、というお話。速めのテンポで、楽しい演奏だった。
エロイカ」も、全体にテンポが速く、軽快に進んでいく。最終楽章は、「プロメテウスの創造物」の最終楽章とテーマが同じだから、これでプログラムが完成し、大いに盛り上がる。終演後は万雷の拍手で、ノリントンザルツブルクの聴衆の敬愛を集めていることがよく分かった。モーツァルテウムの響きの美しさも、相変わらずである。(2016.8.17)

ザルツブルク音楽祭2016 Jedermann

classingkenji+books2016-09-17

今回のザルツブルク音楽祭、最初はコンサートではなく、演劇。この音楽祭が今日の形を整えたのは1920年だとされているが、この年に行われた唯一の出し物が、この劇だった。Jedermannというのは英語だとeverymanのことで、タイトルであるとともに主人公の名前でもある。副題は、「金持ち男の死の物語」。強欲な金貸しであるイェーダーマンは、母親の忠告も聞かずに金もうけに奔走し、知人や愛人を集めて大宴会を催していたところ、死神が現われて、彼を連れて行くという。みんなに助けを求めるのだが、誰も相手にしてくれない。「善行」や「信仰」が現われては彼を諭し、最後には覚悟を決めて墓に入っていく、というお話し。ドイツ語なので一割ほどしか分からなかったが、話の流れは見ていれば分かる。
音楽の役割が大きく、音楽劇といえないこともない。最初はデキシーランド風の音楽に合わせて登場人物が一斉に現われ、顔見せをしてから劇が始まり、要所要所で音楽が大きな役割を果たす。会場は大聖堂のそばで、ときおり伽藍の鐘が高らかに響き渡り、感動を呼ぶ。そして最後は、最初と同じように音楽とともにみんな去って行く。
この劇を見るのは、以前からの懸案だった。一度見たから、当分はもう良いだろう。(2016.8.16)

ザルツブルク音楽祭2016

classingkenji+books2016-09-13

2014年に続いて、2年ぶりにザルツブルク音楽祭へ行ってきた。
ザルツブルクは天気が変わりやすく雨の多い地域で、天気予報はたいがい「曇り時々晴れ一時雨」といった具合。だから実際の天気は、その時になってみないとわからない。しかし今回は、比較的天気に恵まれ、雨で出歩けないような日はなかった。今回鑑賞したのは、劇が一つ、コンサートが四つ、オペラが一つ。順に、紹介していこう。
もうひとつの重要な目的は、もちろん酒と料理である。写真は、ザルツブルクを代表するビール、シュティーグル。左がピルスナーで、右はツヴィッケルという無濾過のビールである。