橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

小林信彦『黒澤明という時代』

今年の三月に文春文庫から出たが、原著は二〇〇九年。黒澤明の全作品を同時代に観た著者が、自分史と戦後史を重ね合わせながら、これら全作品を論じていく。ちなみに最初の作品である「姿三四郎」を観たのは、一〇歳の時だという。著者は笠原和夫を引きながら、黒澤の特徴は〈パターンの独創性〉にあるとする。しかも、独創的であるだけではない。笠原によると、「武道ものや根性ものはいまだに『姿三四郎』のパターンを追いかけている」。「スポ根もの」というジャンルそれ自体が、黒澤によって(結果的に)創造されたものなのだろう。
酔いどれ天使」は、ヤミ市が舞台である。著者はこの作品を高く評価するが、他方では「私は当時の東京の数々の闇市を知っているが、こんな汚い闇市はない」と、その非現実性を指摘する。同時代を生きたものでなければできない指摘だ。
著者の生涯を通じたテーマである下町/山の手の対比は、この本では主要なテーマにはならない。しかし成瀬巳喜男の「稲妻」に触れて、「下町の血縁関係を逃れるために、世田谷に引っ越す高峰秀子に共感を覚えた」と書いたりしている。
意外な事実も知った。「隠し砦の三悪人」が「スター・ウォーズ」に着想を与えたというのは、ルーカス本人も認める事実だが、実はこれを初めて指摘したのは小林信彦だという。二台のロボットだけではない。「姫の輸送にヒーローが絡む」という物語の基本そのものが同じなのだ。これを指摘したのは、公開直後のことだったというから、慧眼というほかない。
最高傑作の一つと評価する「天国と地獄」については、その背景に「〈高度成長〉と呼ばれるものの毒」がある、という。「この毒は人間に染み込み、人間性を変える」。そして「現在、この映画を観る人は、五十年後に来る格差社会、貧しい者の怒りと恨みがうずまく社会の〈予見〉に気づくはずだ」。
自伝的小説を三部作の二作を含む小説を書き続けてきたなかで、あえて二年を費やして完成された黒澤論である。面白くないはずはない。文章も、平易で完成度が高い。「黒澤明に限らず、映画は風切られた時に観なければ駄目なのだ」という著者からみると、映画館へ行く習慣のない私などは映画を理解しないものということになるのだろうけれど、あくまで私は、映画そのものではなく映画を通じて現代史を語ろうとしているのだから、それでいいと思っている。その立場からも、おおいに学ばせていただいた。

黒澤明という時代 (文春文庫)

黒澤明という時代 (文春文庫)