橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

ザルツブルク音楽祭2012 クリーブランド管弦楽団1

classingkenji+books2012-09-20

今回の音楽祭では、クリーブランド管弦楽団が二回のコンサートを行った。プログラムは連続していて、スメタナの「わが祖国」を二夜に分けて演奏し、その前後にルトスワフスキの曲を配置、最後はショスタコーヴィチ交響曲第六番という、変則的な編成。観客を二晩連続で動員するための作為と思えないでもない。
まず第一夜の最初は、ルトスワフスキ管弦楽のための協奏曲。冒頭から目の覚めるような管弦楽で、とくに金管の音色が素晴らしかった。澄んだ音色で、強奏でも決して刺激的になることがなく、しかもキレがいい。木管では、フルートとピッコロの安定した美しさに感心した。もともとジョージ・セル時代のクリーブランドは、管楽器のソロが充実していた。一時期、とくにメストが就任してからは低迷していたが、かなり回復してきたようである。
後半は、「わが祖国」から四曲目まで。冒頭のハープは、ともかく素晴らしかった。主題を提示した後の上向音型の最後を、音色は美しいままに力強く終えたところなど、ため息が出そうだった。ところが、次に入ってきたホルンが微妙にずれる。次の木管も入りが合わず、どうなることかと心配になる。クリーブランド管弦楽団に、こんな事があろうとは。すぐに立ち直りはしたものの、オーケストラがルトスワフスキの時のようには鳴らないのはなぜか。とくに金管が精彩を欠く。メストが音量を抑えるよう指示したのだとすると、とんでもない間違いだろう。セルの演奏と比較する意味で注目していた「ヴルタヴァ」は、テンポが速過ぎ。とくに最後の部分、ブルタヴァ川が下流にさしかかる部分で、さらにテンポを速めたのは大失敗。プラハを流れるブルタヴァの流れが、こんなに早いはずはないのである。続く「サルカ」「ボヘミアの森と草原」では、曲想の移行の処理が決定的にうまくなく、曲想が変わるごとに音楽が途切れてしまう。ときおりテンポを大幅に早めたりするのだが、まったく必然性が感じられない。前半は素晴らしかったが、後半は落胆のコンサートだった。