橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

サイデンステッカー『東京 下町山の手』

日本文化研究家のサイデンステッカーは、大の下町びいきだった。

浅草について書いた一文には、「日本のいわゆる知識階級の生活が、正気の沙汰ではなく、馬鹿馬鹿しくて仕方がなくなってきた時、時評のために、山と積まれた文芸雑誌のどれもこれもが、つまらなくて読むに耐えられなくなってきた時、私は銭湯に行く。時間さえ許せば、浅草へ出かけていく。文字通り命の洗濯をしに行くのである」なんていう言葉がある(高見順編『浅草』)。この感覚は、私にもある。仕事に行き詰まるのは、自分の世界が狭くなり、自由な発想ができなくなったときであることが多い。そんなとき、私は銭湯ならぬ下町の居酒屋へ行く。

この本は、明治大正期の東京の近代史を、下町と山の手の対比を軸に描いたもので、扱われるテーマは非常に幅広い。基本的には、著者にとって下町は、失われてしまった哀惜の対象で、「今日の下町には、せいぜい野球とテレビの文化しかないけれども、百年前の下町に比べて、これはあまりに貧寒な文化でしかない」などと 悲観的である。それは一面では真実なのだが、居酒屋や商店街の賑わいには、まだまだ下町の独自性がある。

サイデンステッカーは、大衆酒場で下町ハイボールを飲んだだろうか。モツ焼きともつ煮込みを食べただろうか。大衆酒場に、お連れしたかったものである。