橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

小林信彦『映画を夢みて』

小林信彦の、主に若い頃に書いた映画評論集で、初出は一九九一年。これは九八年に出た文庫版である。小林信彦は一九三二年生まれだから、かろうじて戦前・戦中を経験した世代であり、戦争直後から五〇年代の映画を、リアルタイムな経験にもとづいて語ることができる。だから、私のように映画そのものというよりも映画に描かれた日本の社会に関心があるものにとっては、貴重な著者の一人である。
ヤミ市についての記述がいくつかあるのがうれしい。ヤミ市が描かれた映画としては、黒澤明の「酔いどれ天使」が有名だが、これは山本嘉次郎の「新馬鹿時代」のセットを流用して撮影されたもの。著者は、若い観客がヤミ市をあんなものだと考えたらえらい間違いで、これは黒澤の幻想のヤミ市なのだという。著者自身は、この映画を渋谷のブラックマーケットの傍の映画館でみており、そのときには大いに違和感があったとか。また別の個所では、このヤミ市第三国人がいないのがリアルでないという声があったが、あのヤミ市は電車のガードの高さや規模からいって、都心ではなく私鉄沿線だから、おかしくないという。さすがは、生き証人である。
「渡り鳥」シリーズに始まる日活のアクション・コメディは、戦後日本映画史の逸せない部分であるにもかかわらず、教科書的な映画史には出てこない、というのは鋭い指摘である。ちなみに小林旭の「銀座旋風児」は荒唐無稽でひどい作品だが、当時は「地方に強」かったのだとか。私など、六〇年ごろの銀座がカラーで写っているというのでわくわくしてみてしまうのだが、これは田舎者の発想なのだろう。
成瀬巳喜男の「流れる」についても、面白い指摘がある。著者としては珍しく、柳橋まで出かけていって、実地で現場を確認しているのだが、映画では二つの場面だけが柳橋から外に出ていて、これらはいずれも柳橋の南側である。「彼らに希望を与えるのは、南、または南西の方角である」(四五八頁)──映画の都市社会学である。

映画を夢みて (ちくま文庫)

映画を夢みて (ちくま文庫)