橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』

原著は1962年。解説で秋山駿が著者のことを「当代きっての風俗画家」と評しているが、まさにその通りで、昭和30年代のサラリーマンの生態を見事に活写している。
たとえば、平社員と課長はどこが違うかと問を立て、「収入?ご冗談でしょう」と前置きした上で、安っぽい酒場へ行くわけにはいかない、来客に備えて上等のウイスキーを常備しなくてはいけない、夫人にオードブルの作り方を習わせなくてはいけない、ピアノとステレオがいる……と論じる。サントリー宣伝部時代の作品だから、多少は割引しなければならないかもしれないが、この頃始まって長く続く習慣だったのは事実だろう。
酒好きの著者だけに、酒の話題が多いのがうれしい。母親の通夜の時、親しかった職人が来客の部屋分けをして、「あの部屋は一級酒でいいですよ」などと仕切ったという。面白い証言である。ヤミ市酒場についても「新宿のナントカ横丁で飲んでも、大学の教授も一流会社の社員も、みんなカストリやバクダンを飲んでいた。物もなかった。平等だった。それが、29年にもなると、だんだん差がついてきた」と書かれている。
都市論的な部分もあり、郊外のベッドタウンについて「街に歴史がない」「飯場人足がうろうろしている開拓地だ」「ベッド・タウンと東京の下町の寝心地とを時に中和させる必要がある」などと評してもいる。
今となっては、歴史資料のようなもの。品切れで、入手はできるものの定価よりかなり高いことが多い。

江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫)

江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫)