橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

鴨下信一「ユリ・ゲラーがやってきた:40年代の昭和」



 著者には『誰も「戦後」を覚えていない』と題して昭和20年から30年代までを論じた三冊の著書があり、同じく文春新書として出版されているが、これはその最新刊。テーマは、40年代である。昭和ブームだとはいえ、もう40年代までがノスタルジーの対象になったのかと、複雑な思いがする。考えてみれば、もう40年前だ。私が小学生だった1970年から見れば、1930年代に相当するのだから、当たり前か。

 これまでの三冊は、市民生活の全体を描こうという姿勢が強かったように思うが、今回は記述の大部分が映画、歌謡曲、テレビ、そして犯罪・事件にあてられている。新書を好んで読むような年代にはまだ記憶が鮮明だから、平凡になるのを避けるためにテーマを絞ったのだろうか。あるいは人々の日常生活は、1970年代にもなると今日とあまり変わらないものになっているということか。取り上げられるのは、フォークソングと若者ファッション、ホームドラマの全盛期など。ああ、そうだったと思い出すことが多い。やくざ映画とATG映画にも、多くのページが割かれている。

 事件で主役の座を占めるのは、当然のように永山則夫である。しかし著者は、彼の事件(広域手配108号事件)を、105号事件、106号事件と連続するものとして捉える。日本の発展から取り残された者たちによる犯罪だったからである。著者は彼らを〈私たちの社会が生んだ犯人たち〉と呼ぶ。だから人々は、彼らを〈贖罪〉の気分をもって見た。著者はこのことを、「この時代の日本はどこか全体に[ストックホルム症候群]にかかっているようなところがある」と表現する。

 より抽象すれば「敗者・弱者に対する連帯感」だろう。格差と貧困が拡大する現代の私たちは、どれほどこの感覚を共有できているのか。


ユリ・ゲラーがやってきた―40年代の昭和 (文春新書)

ユリ・ゲラーがやってきた―40年代の昭和 (文春新書)