橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

小林信彦『一少年の観た〈聖戦〉』

小林信彦は一九三二年生まれ。太平洋戦争から敗戦にかけての時期は、九歳から一二歳である。タイトルからは、その小林少年が目撃した戦時の日本を描いたもののように見えるが、実は大部分が当時観た映画にあてられている。ともかく、よく映画を観ているのに驚く。子ども向けの映画、子どもでも楽しめるように作られた国策映画だけではない。のちに名画と呼ばれるようになった作品も、数多い。フイルムが失われたものも少なくない。しかも、これらの映画の場面やストーリーをよく覚えている。小林少年だけではない。当時の下町の子どもたちは、よく映画を観ていた。みんなが観ていて、観ていないと子どもたちどうしの会話に加われなかったというのは、黒澤明の「姿三四郎」である。
ところが埼玉の疎開先では、映画を観ることができない。小林少年にとって疎開とは、飢えと映画が観られないことだった。敗戦後は新潟の高田市に移り、高田中学に転校した。町には映画館があったが、映画を観ることができない。なぜなら、一人で映画を見に行ってはいけないという校則があったからである。「マイったのは、校則で映画その他、日常の行動を規制されたことと、東京から遠く隔てられていることである。東京生まれで、早くから単独で映画を観ていたぼくにとって、これほど辛い状況はない。」
思い当たったことがある。私は今でも、映画館で映画を観る習慣がない。封切りを観ることなど、数年に一回程度だ。その原因の一つは、中学生のころ、映画館へ行くことを禁止されていたからだろう。一九七〇年代のことだが、学校でも、家でも、中学生が映画館へ行くのは悪いことだというのが常識だった。映画館へ行くのは、不良のやることだった。こんな地域は、全国的にはどの程度あったのだろうか。
小林信彦は、国策映画に対しても、あくまで映画としての出来を問題にする。だから、山本嘉次郎が監督し、円谷英二が特撮を担当した戦争三部作では、「電撃隊出動」をいちばん優れているとする。これに対して、戦後は左翼映画人として活躍した今井正の作品は、ひたすら重く暗い、不出来な映画とみる。今井はもちろん、戦後になってこうした映画を作ったことを「自分の犯した誤りのなかでいちばん大きい」と恥じているのだが、小林にいわせれば、「資質に合わない仕事をやったことこそが〈誤り〉であった」。戦時下の日本映画を断罪することは容易だが、こうした姿勢からは距離を置いている。だから本書は、戦時下の日本映画についてのガイドブックとしての利点がある。こんな映画があったのかと、感心させられることが多いから、読んでいても楽しい。

一少年の観た「聖戦」 (ちくま文庫)

一少年の観た「聖戦」 (ちくま文庫)