橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

永井荷風を読む3



 これは、野口冨士男の編んだアンソロジーの下巻。テーマは東京論以外ということで、自分の生い立ちや身辺、文学者としての経歴について語ったもの、芸術論・文学論、性にかんする小論などを収めている。

 とくに印象深いのは、2番目の妻で新橋の芸妓・八重次、のちに舞踏家として活躍した藤蔭静枝との関係をつづった「矢はずぐさ」。家事・家計の経営能力、そして教養と完璧な女性であったように読めるが、離縁の原因についてははっきりしない。

 「西瓜」では、自分が独身生活を続ける理由を率直に語っている。夜中にふと目を覚ますと、硝子窓に幽暗な光が差している。夜が明けたのかと思ったら雪だった。そこでストーブに火をつけ毛布にくるまったまま読書をはじめたときの快適さ。夜が明けたころまた眠りに落ちる。昼過ぎにふらりと散歩に出かけ、暗くなると酒を売る店に入る。こんなことができるのも、妻子や門生がいないからだ。それに「子どもが将来何者になるかは未知のことに属する。これを憂慮すれば、子供は作らぬに若くはない」。

 荷風は小説の細部の描写にこだわった。「小説作法」には「小説の価値は篇中人物の描写如何によりて定まる」とある。上巻とともに、繰り返し読むに値する名アンソロジーである。