橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

太宰治『斜陽/他』



 華族は、明治維新直後の1869年、従来の公卿と大名を、士族や平民より上の貴族的階級に位置づけるものとして設置され、さまざまな政治的・経済的特権を与えられていた。

 士族が早い時期に特権を失い、単なる戸籍上の呼称となっていたのに対し、華族貴族院議員の議席の大部分を占めたなど、実質を備えた特権階級として存在していたが、日本国憲法の施行によって消滅した。占領軍は限定的に存続させる意向だったが、憲法草案のなかのこれを存続させる条項が衆議院で削除され、貴族院もこれを認めたことから、完全に廃止されるに至ったという経緯があったという。こうして日本には、皇室は別として、経済的資源の所有によってではなく、法令によって定められて成立する特権階級は、存在しなくなった。

 さらに追い打ちをかけたのが、財産税法の施行である。財産税は、1946年11月11日に公布された財産税法に基づいて、同年3月3日午前0時の時点で所有していた財産について、一回限りで徴収された臨時財産税である。課税対象とされたのは、預貯金、債権、土地・家屋などはもちろんのこと、年金保険、書画・骨董や家財道具にまでおよび、課税最低限は10万円で最低税率は25%、最高税率は1500万円以上の90%だった。納税者は、全世帯の約3%で、ほとんどの華族はここに含まれただろう。

 財産税によって没落した富裕層の姿は、いくつかの文学作品にも残されたが、もっともよく知られているのは、太宰治の小説『斜陽』である。主人公は30歳間近の女性・かず子。華族の家柄ではあるが、父親は他界し、弟は戦地から帰らず、東京・山の手のお屋敷町で母親と二人で暮らしている。父親の残した財産で生活を続けていたのだが、預金の封鎖と財産税で財産が尽き、やむを得ず屋敷を手放して、伊豆の山荘に移り住む。周囲の住人たちの多くは、少なくとも表面的には親切に接してくれるのだが、ときには厳しい言葉にも耐えなければならない。

 やがて弟が戦地から帰ってくるのだが、母親に金をねだって東京へ出かけては、遊んでいるばかりだ。かず子も、まともな職業になど就いたことはないし、務まりそうにもない。少しずつ着物を売って暮らすほかはない。

 そしてしばらく後、母親は結核で亡くなり、弟は「姉さん。僕は貴族です」という遺書を残して自殺するのだった。ちなみに太宰の生家は青森県の大地主・津島家で、父親は華族ではないものの多額納税者代表として貴族院議員を務めたことがある。

 この文庫本は、「人間失格」「走れメロス」など代表作を11本収め、558頁のボリュームで638円。一家に一冊、という文庫本である。


斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

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