橋本健二の読書&音楽日記

日々の読書と音楽鑑賞の記録です。

小林信彦『流される』

小林信彦には、戦中から戦後にかけてを中心とした自伝的作品が多い。これらには完全に小説の形をとったものもあれば、エッセイとして書かれたものもある。この作品は『東京少年』『日本橋バビロン』に続く「自伝的小説」三部作の完結編とのことで、事実を中心としながらも、人物同士のやりとりなどは創作された部分が多いように見受けられる。
今回の発端は、依頼された講演を終えたあとに、母方の祖父についての資料があると未知の人物から知らされたこと。その人物とは、祖父がその創生期に大きな役割を果たした沖電気の関係者で、社史や創業者の評伝、残された手紙などから、祖父の実像が明らかになっていく。しかし本題は、祖父が退職した以降の、父方と母方それぞれの家、そして著者自身の戦中戦後史である。とくに、著者が下町を捨てて山の手へと向かう経緯について、詳しく書かれているところが興味を引く。これは著者の作品にたびたび出てくる通奏低音ともいうべきテーマだが、当時の心境を含めて詳しく書かれていて、愛読者としては謎が解けたというような気にさせられる。
1948年、11年ぶりに両国川開きが行われた。これには隅田川での無数の溺死者についする鎮魂の意味があり、ここから「戦後の下町」は始まった。街は壊滅していたが、戦前の下町を知る人々が生き延びたから、下町の生活習慣は復活した。工場が閉鎖されて、川の水はきれいになった。しかしちょうどそのとき、著者は下町と山手の両方を知る人間となっていた。家は下町だが、母方の実家と通っていた高校が山の手にあったからである。
しばらくすると工場は復活し、水は汚れ始め、白魚も釣り人も姿を消した。そして台風がやってきて、家は溢れた水に襲われた。「川辺に住むのがあまり気分の良いものではないことがわかった。山の手か湘南での暮らしを漠然と考えるようになったのは、それからである」。
さらに父が亡くなり、商売が終わった。商売が続いていればともかく、もう下町に住む意味はなくなった。家を売って引っ越すことにしたが、当時は杉並や世田谷など郊外に住む気はなかったという。「そりゃ、あなた、郊外には住めませんよ。杉並とか世田谷って、狂犬が出るじゃありませんか」という近所の若旦那の言葉が笑わせる。結局引っ越したのは、四谷左門町だった。しばらく後、出版社に就職し、さらにテレビ局と関わるようになるが、このあたりは実にさらりと書かれている。水に流されて下町を去り、さらに流されて出版とテレビの仕事をするようになったということか。成瀬巳喜男の名作「流れる」の女たちは川向こうの下町へと流されるのだが、小林は山の手へと流された。
三部作は完成だというが、おそらく著者は、また同じようなものを書くのだろう。下町と山の手というテーマをここまでしつこく書き続ける著者は彼くらいのものだが、私はそこが好きだ。それが東京の格差構造と社会移動の表現なのだからと書くと、あまりに身も蓋もなくなってしまうのだが。

流される

流される